わかりにくい「喪中の過ごし方」について。
正月や初詣、結婚式や旅行はタブー?すべき事と注意点
日本における「喪中」の習慣は、全国的に根付いています。
会社でも忌引き・弔慰休暇など、故人が亡くなったことによる休暇取得が認められています。
しかし、喪中の具体的な過ごし方について、あまり詳しいことを知らないまま1年を過ごすケースも珍しくありません。
この記事では、みんなが知っているはずなのに曖昧な、喪中の過ごし方についてご紹介します。
喪中の時期にしてはいけないこと
まずは、一般的に「喪中の時期にしてはいけない」とされている行動を、いくつかご紹介します。
喪中の基本的な考え方は「故人を偲ぶ」ことですから、その逆をいく行動は控えなければなりません。
基本「おめでたいこと」には参加しない
故人のことを考え、冥福を祈るということは、故人を差し置いて人生を楽しむようなことを控えるという意味でもあります。
このことから、世の中で「おめでたいこと」として認識されている行為は、基本的に慎む方向性で考えるのが無難です。
一例として、他人の結婚式や披露宴に参加するのは、故人のことを忘れて自分や人の幸せを願う行為として、親族等がいい顔をしない可能性があります。
もちろん、現代では全ての家族に当てはまるとは言えませんが、古い考えを大切にしている人ほど、そういった点を厳しくチェックしています。
とはいえ、友人・知人に招待されてしまい、やむなく参加を決断する場合もあるでしょう。
そのような場合、無理して断る必要はありませんが、もし断りを入れるなら事情を伏せて欠席するのが礼儀とされます。
仮に、断りたいのに先方が出席を熱望している場合は、身内に不幸があったことを率直に伝えます。
逆に、それなりに親しい関係なら、あえて喪中の件を伝えて、欠席について事情があることを納得してもらうのも良い方法です。
自らの結婚式を控えるケースも
他人のおめでたいことはもちろん、自分自身もおめでたい状況になった場合、こちらも喪中では祝うべきでないとされます。
本来、故人の親族にあたる人間が結婚式を控えているなら、祝ってもよさそうなものですが、一応、喪中での結婚式は避けるべきとされています。
ただ、これはタイミングの問題もあり、会場の手配・招待状の送付などが全て終わっている状況で家族が亡くなった場合は、わざわざ何もかもキャンセルしてしまうわけにはいきません。
そこまで堅苦しく考える必要はなく、可能であれば避ける、といった形で考えておけば問題ありません。
ちなみに、入籍は祝い事に当たらないため、式は後日として籍だけ入れるというのは、喪中で制限する行為に含まれませんから安心です。
旅行も原則NGだが、実質形骸化している
これは、どちらかというと遺族側の気持ちに配慮した考え方ですが、喪中の旅行も原則としては控えるべき行為にあたります。
ただ、大切な家族が亡くなったのに全く気持ちが落ち込まず、好きな場所に旅行できるバイタリティがある人は、そもそも少数派だと思われます。
旅行自体が趣味という人は、旅行によって気持ちの整理をつけることもできるでしょうが、逆に「亡くなった人に呼ばれる」などと言って旅行を取りやめるケースもあることから、人によってNGケースかどうかは分かれます。
つまり、実質形骸化しているマナーのため、取り止めるかどうかは個人差があるものと考えてよいでしょう。
しかし、日本国内の旅行に行くなら、神社との付き合い方には注意が必要です。
神社は死を忌み嫌うものとして知られるため、例えば故人の遺影を持って神社巡りのような旅をするのは控えましょう。
喪中にあたる時期にやっておくべきこと
続いては、周辺が落ちつく喪中の時期に済ませておきたいことをご紹介します。
心境を整えることばかりではなく、今後の生活に関する準備などを済ませるためにも、喪中の時期を有効に活用したいものです。
まずは故人の冥福を祈り、思い出を整理する
故人の存在が遺族にとって大きければ大きいほど、気持ちを整理するには時間がかかります。
だからこそ、喪中の時期は故人の冥福を祈ることに気持ちを切り替え、徐々に普段通りの日常に戻れるよう努めたいところ。
遺品を整理したり、部屋を掃除したりして、過去を振り切るために行動することが大切です。
もともと、仏壇が自宅にない家であれば、いずれは仏壇が供養の中心となるため、そういった供養の準備も喪中の間に進めていく必要があります。
どのような規模のものがあればよいのか、位牌のデザインはどうするのかなど、細かいことを決めようとしたらキリがありません。
故人のために、自分たちのために、今何ができるのか。
喪中は、それを考えるための時間として最適です。
四十九日を過ぎるまでに、香典返し・納骨の準備
喪中と聞くと、1年単位で時期を考える人も多いと思いますが、仏事で重要なイベントを控えているタイミングとも重なります。
例えば、香典返しの準備は四十九日法要のタイミングで行うため、その前に名簿の整理や金額の確認などを済ませておくとスムーズです。
また、お墓や納骨堂の手配についても、できるだけ早く済ませたいところです。
こちらも時期は四十九日を目安に考え、どうしてもそのタイミングで用意できなかったとしても、何らかの策は講じておきましょう。
遺骨をお墓や納骨堂に安置する方法だけでなく、手元供養のように自宅で保管したり、アクセサリーに加工したりと、手段は色々あります。
自分たちが納得のいく方法で遺骨を管理できるよう、喪中の時期は知恵を絞る時間に充てたいところです。
喪中期間中に遺産相続関連の手続は済ませること
家族の大黒柱が亡くなったら、その遺産をどうするのかについて、遺族で考えなければなりません。
故人が遺言書を書いているなら、その内容に従えばよいだけなのですが、もし遺言書がない場合は民法に従って相続の内容を決めなければなりません。
遺産相続は、きちんと進めなければ色々な問題が起こる可能性がありますから、遺産分割協議書を専門家に依頼して作ることが重要です。
分野によって、弁護士・税理士・行政書士など、各種士業の手助けが必要になるものと想定しておきましょう。
葬儀社の中には、相続問題に関する相談事を引き受けてくれる窓口もあることから、そちらに依頼するのも一つの方法です。
家族の一部だけで話を進めてしまうと、その後のトラブルにつながりかねないため、できるだけ当事者が一堂に会して話ができる環境を整えましょう。
喪中を過ごす際の注意点
意識したことのない人が大半だと思いますが、喪中というのは一般的な慣習に過ぎず、明確に法律で概要・期間などが規定されているわけではありません。
喪中を過ごす場合、各家庭に応じて過ごし方が違うことを知っておかないと、トラブルを巻き起こしてしまうことがありますから、当事者以外の立場で遺族に接する場合は注意が必要です。
喪中は「日本国民全員」の習慣ではない
そもそも、喪中という考え方は儒教から輸入されてきたもので、明治政府の布告によって広く知られるようになりました。
当時は「家」の概念が国家として非常に重要視されていたため、連帯感を高める意味でも、喪中のような習慣は大事なものでした。
しかし、やがてそのような考え方を疑問視する人が増え、昭和の時代には布告が撤廃されています。
よって、日本には喪中を定義する法律は存在せず、喪に服す義務も本来はありません。
つまり、喪中は現代の日本において単なる慣習であり、宗教や住む地域が異なれば、その考え方も大きく異なります。
キリスト教信者の中には、そもそも喪に服すという概念を気にしないまま育つ人もいることから、「あの家は喪中だから」と決め込む姿勢が問題になる場合もあります。
喪に服す習慣が根付いている地域でも、実際に喪中とする期間は様々で、しかも家族で期間は別々というややこしさが付いて回ることもあります。
ここまでくると、わざわざ喪中であることを公表することに意味があるのか、喪中を周囲が気にする必要があるのか、疑問を抱いてもおかしくありません。
喪中を考慮する場合、その人の暮らしぶりや宗教観を尊重して行動することが大切です。
特に、信教の自由は日本で保障されているため、むやみやたらに自分の価値観・信条を押し付けることは避けたいものです。
正月の過ごし方には特に制限が多い
喪中期間にとってネックとなるのは、祝い事が多い正月です。
正月ならではのイベントには、年賀状を送る・門松や鏡餅を飾る・年越しそばやおせちを食べる・初詣に行くなど、実に様々なものがあります。
しかし、喪中の家では原則として、これら全てを慎まなければなりません。
特に、忌中(四十九日を過ぎるまで)の時期は、神社へのお参りは禁止されています。
例外として、お寺詣では認められているものの、どちらかというと神社の方が馴染み深いため、色々と行動に制限がかかります。
子供にとって楽しみな「お年玉」も、喪中期間は原則としてNGとされます。
これは、お年玉が神様からの贈り物を意味していたためです。
現実的には、これら全てを厳守することが難しいケースもありますから、折り合いを付けて制限を設けるのがよいでしょう。
親等によって喪中の期間は違うけど……
原則として、遺族が喪に服す期間は、故人と家族の続柄・親等に応じて決まります。
夫・妻は13か月、子供は12か月といったように、本来は立場ごとに喪中期間が異なるのです。
ただ、同じ屋根の下に住んでいる家族が、それぞれで喪中期間が違うというのは、非常に面倒な制限を設けることになります。
そのため、多くの家では「1年ルール」を設けており、故人が亡くなってから1年間は喪中とする家が多いようです。
この記事のまとめ
喪中の時期は、故人を偲ぶこと・故人を供養すること・故人がいなくなってからのことを考える時期と言えます。
祝い事が原則タブーとされているのも、もともとは大切な人の死から目をそらさず、きちんと事実を受け入れるための配慮だったものと推察されます。
現代では、人々の価値観・宗教観も多様化しているため、その全てを愚直に守ることは難しいでしょう。
状況に応じて、何を守り、何を許すのか、家族で決めることが大切なのかもしれません。