弔電は何のために送りそもそも必要なのか?
よく聞く「弔電」について基本をおさらい解説。
葬儀に参列したことがある人は、お通夜の席などで司会が弔電を読んでいるのを聞いたことがあると思います。
また、弔電という習慣自体は知っていても、実際に自分で送ったことがないという人も多いのではないでしょうか。
弔電は古くから存在する習慣で、遺族に自分の弔意を伝えるための、大切な手段です。
現代ではメールやサイト上のフォームを使って伝えたい文章を送りますが、昔はモールス信号でやり取りしていた時代もあるほどです。
この記事では、そんな弔電について、その必要性や送る理由などに触れつつ、基本的な事項を解説します。
弔電の由来と電報の歴史
弔電・電報がいつから始まった習慣なのか、あまり意識する人は少ないと思います。
しかし、電話が広く使われるようになってから長い時間が経っているため、日本に電話が普及した時代・あるいはその前の時代から、電報は存在していました。
弔電とは、お悔やみの言葉を電報で伝える習慣のこと
まず、弔電というのは「お悔やみの言葉」を伝える電報のことを指します。
また、そのような電報を送る習慣そのものを指すこともあります。
本来なら葬儀に向かうべきところ、やむを得ない事情で葬儀会場に足を運べないという場合に、その旨を電報で伝えつつ弔意も伝えます。
電報を取り扱う業者の方で、定型的な文章を用意していることが多いという特徴があります。
自分の気持ちを率直に伝えることもできますが、忌み言葉など失礼にあたる表現を使ってしまうおそれがあるため、独自性にこだわることは原則として差し控えた方が賢明です。
日本では明治時代から始まった電報
日本で弔電が始まった時期を知るためには、そもそも電報という概念がいつから存在していたのかを知らなければなりません。
確認できている中で最古とされているのは1869年(明治2年)の例で、東京・横浜間で電信機から送られてくるモールス信号を解読した後、その内容をメッセージとして手書きするという方法でした。
これは、手紙をやり取りするよりもはるかに早い通信手段であり、やがて1875年(明治8年)には、全国で電報が利用できるようになります。
電文を作る際、もともとは郵便局で紙にカタカナを書いていたのですが、1890年(明治23年)からは電話での受付も行われるようになりました。
モールス通信と独特の文体
年を経るごとに通信機能は進化し、大正時代は日本にもタイプライターが導入され、印刷電信機が使われていました。
戦前を迎えると、写真電報・年賀電報といった新しいサービスが登場し、この頃ようやくサービスとしての慶弔電報が始まったと言われています。
現代のように携帯電話がなく、電話自体が広く普及していなかった時代、電報は非常に優秀な伝達手段として用いられました。
しかし、文字数が増えるほど高くなることから、できるだけ短い文字数で内容を伝える文体が編み出されます。
例として有名なものには、お金を無心する「カネオクレタノム」や、母が父の危篤を知らせる「チチキトクスグカエレ」などがあります。
ちなみに、大学受験の合格を知らせる「サクラサク」も電報発祥の表現です。
電報を利用する機会は縮小傾向に
戦後、モールス信号が廃止されるとともに、印刷通信が用いられるようになりました。
電話機も経済成長とともに増大したため、サービスの差別化のため、メロディ電報などの新しいサービスが誕生しています。
1988年(昭和63年)には、今までカタカナだったものにひらがなが加わり、その後漢字も追加されていきます。
こうして、現代の電報の基礎が出来上がり、日本人にとってより身近な形で弔電が広まりました。
弔電が必要な場合・不要な場合
弔電は、もちろん葬儀の席で読まれることを想定して送るものですが、どのようなケースで必要とするのか、逆に必要と思っていたが実は不要だったケースはあるのかなど、細かく考えると疑問点が数多く浮かんできます。
続いては、弔電が必要な場合・不要な場合について、いくつかの例をご紹介します。
通夜・告別式ともに参加できない場合は弔電を送る
原則として、弔電を送るのは「通夜・告別式に事情があり参列できない」場合に限られます。
逆に言えば、通夜か告別式に参列できるなら、弔電を送る必要はありません。
ただし、弔電を送るのは「通夜の前まで」ですから、弔電が披露される告別式までには手配しなければなりません。
できるだけ早い段階で、出席の可否・弔電の内容を決めておく必要があります。
もし、自宅での葬儀となる場合は、直接自宅に弔電を送れば問題ありません。
この時の注意点としては、通夜直前に弔電が届かないよう留意することです。
自宅で準備をするとなると、遺族は慣れないことにバタバタしがちですから、通夜直前に弔電が届くとかえって負担をかけてしまうおそれがあります。
訃報を受けてからできるだけ早く、弔電の準備を進めましょう。
家族葬の場合はどうか
現代では、葬儀の種類も多数存在しており、新しい価値観のもとで葬儀が行われることも珍しくなくなりました。
家族・親族だけで行う家族葬や、宗教観にとらわれない無宗教葬など、既存の考え方とは違う葬儀が執り行われています。
広く参列者が集まる中で通夜・告別式を行うなら、弔電について特別の留意は必要ないものと考えてよいでしょう。
問題は家族葬で、友人・知人の参列者がいたとしてもごくわずかな中、招待されていない立場で弔電を送るべきなのかどうか、悩む人も多いはずです。
この点については一定のマナーがあり、参列・香典は辞退というスタンスの家族葬は多い反面、弔電は特段の断りがなければOKとされています。
弔電を受けた後、遺族はお礼状を送る・くだけた関係なら電話でお礼を言う形で対応するため、負担度も低いものと考えられるからです。
ただ、家族葬の開催は、ごくごく身内にしか伝えられないはずですから、連絡がないのに弔電を送る必要があるのかどうか、疑問に思うケースもあると思います。
その場合は、あえて送らずに後日連絡を入れた方が確実です。
遺族が供物・香典等を辞退している場合はどうか
葬式の形態を問わず、遺族の側が香典や供物を辞退している場合があります。
家族葬で多く見られますが、より少数で執り行われる直葬なども、このようなケースに該当する場合があります。
このような場合、遺族が「どこまでを辞退しているのか」について確認することが大切です。
一口に辞退と言ってもその意味合いは幅広く、供物だけなのか、供花だけなのか、供物と香典だけなのか、供物も香典も供花も一切不要なのかなど、バリエーションに富んでいるからです。
遺族の側が案内を送る際、弔電の存在を失念している場合も考えらえます。
判断基準としては、葬式の規模や形態から考えるよりも、葬儀案内が届いた際にどのような内容の文言が書かれているかを読んで判断します。
文面の中に「香典・お供物などの一切を辞退します」と書かれているなら、何かを送ることそのものがNGと考えておいて間違いありません。
弔電は電報なので、正直微妙なところではありますが、弔電披露がセレモニーの式次第に含まれていないなら、かえって戸惑わせてしまうかもしれません。
送るなと言っているところに何かを送るのは、自らのエゴ・マナー違反と考え、静かに自宅で黙とうするに留めましょう。
弔電を送るのは何のためなのか
実際に弔電を送ったことがない人にとっては、弔電はなぜ必要なのか、あまりピンと来ないケースも多いはずです。
弔電を送る理由をあらかじめ知っておけば、自分が該当するかどうかを客観的に判断できますから、基本的な事項を押さえておきましょう。
直接葬儀に参列すべき人が、参列できない場合の礼儀
そもそも電報は、遠方に住んでいる人が、家族や友人などに安否やお願い事を伝えるために行う通信手段です。
これを弔電に当てはめて考えると、本来なら直接葬儀に参列すべき立場でありながら、何らかの理由で参列できない場合の礼儀として弔電を送るという図式が成り立ちます。
つまり、故人と親しかったのに参列できないため、哀悼の意を伝えるのに弔電を送るというのが、一般的な使い方となっています。
ただし、その理由は様々なので、一口には語れません。
交通機関の乱れや天災は避けられない
よく、故人の通夜に雨が降ることを「涙雨」などと言いますが、葬儀の折に天候が崩れてしまうケースはよくあることです。
また、天災によって多くの人が亡くなってしまうことも、日本では残念ながらよくあることです。
このような場合、遠方のため駆けつけられないケースは十分考えられ、雪などが降る地域では飛行機の着陸が難しいなどの理由から、急遽予定を変更して電報に代えることがあります。
震災のように大規模な災害が起こった場合は、弔電以前の問題として、安否確認や支援物資の準備など、別のことに時間を取られることでしょう。
体調不良・病気による理由も認められる
故人が高齢の場合、親族・遺族もまた高齢になっています。
高齢になればなるほど、体調にどこか不安を覚えている人が多くなるものですから、体調不良や病気を理由に弔電を送る人もいます。
これはもっともな理由であり、年齢を考えれば、文面でわざわざ断る必要もありません。
どうしても申し訳ないと感じたら、電話を一本入れれば済む話ですし、郵便で香典も遅れます。
ウィルスに感染するなど、自分が急に体調を崩してしまった場合にも弔電は便利ですから、選択肢の一つとして覚えておきましょう。
この記事のまとめ
弔電の歴史をさかのぼると、モールス信号でやり取りをしていた時代があったことに驚かされたと思います。
しかし、当時から人が人を想う気持ちというのは強いもので、戦前まで家族の結びつきは非常に強かったと言われています。
戦後、核家族化の流れが進み、人間関係の希薄化がささやかれますが、そのような中でも弔電という文化は生き残っています。
葬儀に足を運べない事情ができた際の選択肢として、弔電のことを心に留めておきたいものです。