よく耳にする「お彼岸」実際の準備と心構え。
春と秋にくるお彼岸、事前に何を準備すれば良いのか
お彼岸と聞くと、多くの人は「春・秋の2回行う仏事」というイメージが思い浮かぶと思います。
しかし、それぞれの違いや具体的な準備について知らない人は、意外と多いのではないでしょうか。
お彼岸は、お盆や命日と違い、あまり特定の誰かをお参りするイメージでとらえられることはありません。
それは、お彼岸という仏事のルーツに理由があり、単に現代人がご先祖様にご無沙汰をしているわけではないようです。
今回は、仏事の中でも詳細をあまり知られていないお彼岸について、取り組む際の準備や心構えなど、春と秋の違いに触れつつご紹介します。
春のお彼岸で行う準備
まずは、春のお彼岸の概要や、お彼岸に向けて行う準備についてご紹介します。
お盆と比べると規模は大きくありませんが、お寺で彼岸会(お彼岸法要)と呼ばれる仏事が定期的に行われていることから、日本における大きなイベントの一つと言えるでしょう。
春分の日を中日とし、前後3日間の合計7日間がお彼岸の期間
まず、春のお彼岸を定義する場合、春分の日が中日となり、その前後3日間がお彼岸の時期となります。
合計7日間がお彼岸にあたり、太陽が真西に沈むことから、極楽浄土に一番近づく時期と考えられてきました。
ちなみに、2020年における春分の日は3月20日(金)のため、3月17日(火)~3月23日(月)までが彼岸の時期です。
この時期に、家庭によってはお墓参りをしたり、お仏壇に美味しい食べ物をお供えしたりするのが一般的です。
菩提寺との関係がある家庭では、お寺で行われる檀家合同のお彼岸法要に参加することもあります。
また、合同法要とは別の機会が設けられ、住職が自宅まで来てくれるケースもあり、特に年忌でその傾向が見られます。
ただ、義務というわけではありませんから、特にご先祖様・故人を供養したい人向けの方法と言えるかもしれません。
お坊さんにお経をあげてもらう・合同法要に参加する場合は、いずれの場合もお布施を用意する必要があります。
お寺から案内が届いたら、ハガキにお布施の金額が書かれていることもありますが、何も書かれていなければ「3,000~10,000円」が相場です。
また、自宅に住職を招いた場合は、色を付けて「30,000~50,000円」ほど包んでおくのが相場と言われています。
お車代を別途包むなら、5,000円程度を想定しておきましょう。
法律上「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日が春分の日
お彼岸は、春と秋に分かれており、それぞれの中日にあたるのが、春分の日と秋分の日です。
大きな視点で見ると、それぞれに目立った違いはありませんが、祝日として定められた意味合いが異なります。
国民の祝日に関する法律では、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日と定められており、自然・生物に感謝する日として理解できます。
仏事に当てはめるのであれば、今を無事に過ごせていること・自分以外の他者によって生かされていることに感謝する日と言えるでしょう。
お盆と比べて、家庭の祀り事に振り回されるケースは少ないため、普段よりも丁寧にお勤め・お供えをするだけでも、ご先祖様に気持ちを届けることにつながります。
お彼岸だからといってあまり深く考えず、感謝の気持ちを伝えましょう。
お菓子は「ぼたもち」を用意する
お彼岸は、基本的に春と秋でやることが大幅に変わるわけではありませんが、一部時期による違いもあります。
代表的なのが「お供え物」です。
春のお彼岸では、お仏壇・お墓に「ぼたもち」をお供えします。
名前がぼたもちなのは、春に咲く牡丹(ぼたん)の花に由来するとされていますが、現代では明確に分類されているとは言えません。
ぼたもちの定義は地域で違い、原材料に粒あんを用いること、もち米を使って作ることなど、おはぎの作り方と対比されることが多いようです。
普段用意する場合、あまり深く考えず、その地域でぼたもちと呼ばれているお菓子をお供えすれば問題ありません。
秋のお彼岸で行う準備
続いては、秋のお彼岸で行う準備についてです。
お盆を7~8月に済ませるため、秋のお彼岸は簡単に済ませるという家庭も少なくありませんが、基本的には春のお彼岸と大きな違いはありません。
秋分の日を中日とし、前後3日間の合計7日間がお彼岸の期間
秋のお彼岸は、秋分の日を中日として、その前後3日間がお彼岸の時期となります。
この由来は、春分の日を中日とする春のお彼岸と同じで、太陽が真西に沈む時期を基準に考えられています。
2020年における秋分の日は9月22日(火)のため、9月19日(土)~9月25日(金)までが彼岸の時期にあたります。
春のお彼岸と同様、お墓のお参り・お仏壇の念入りなお手入れなど、それぞれの家庭でご先祖様をしのびつつ、自らの生活を律します。
法律上「祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ日」が秋分の日
春分の日と秋分の日を比較してみると、少なくとも日本の法律上は、秋分の日にご先祖様の供養を行う形の方が自然なようです。
国民の祝日に関する法律では、秋分の日は「祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ」日とされ、故人をしのぶ意味では秋の方がしっくりきます。
お盆を終えた後であれば、親戚もそれぞれの家に帰り、もとの生活に戻っている時期でしょう。
ひっそりと、家族水入らずの時間を過ごすのに、お彼岸を利用してもよいのかもしれません。
お菓子は「おはぎ」を用意する
秋のお彼岸では、お仏壇・お墓に「おはぎ」をお供えします。
おはぎという名前は、秋の七草の一つ、萩(はぎ)の花が、小豆の粒と形が似ているという理由で名付けられたとされています。
春のぼたもちと対比されることが多く、原材料にこしあんを用いること、うるち米を使って作ること、あんこの代わりにきな粉を使うことなど、地域性が反映されています。
こちらも春同様、お住まいの地域で「おはぎ」とされるお菓子を備えましょう。
お彼岸とは、どのような仏事なのかを知ろう
そもそも、お彼岸がどのような仏事なのか、概要を知っている人はそこまで多くありません。
現代でも仏事としては有名ですが、過去を紐解く限り、必ずしもご先祖様に祈りを捧げる風習だったわけではないようです。
本来は修行をすることが目的だった
お彼岸の「彼岸」とは、仏教における「悟りの世界」を表します。
原典に用いられていたサンスクリット語では「パーラミター」であり、日本語で「最高であること」「完全であること」などの意味です。
より仏教的に解釈すると、悟りを開いた状態を意味します。
迷いの世界(此岸)と悟りの世界(彼岸)が川で分かれている状況を想像した時、悟りによって彼岸に至ることを目的とした修行だったわけです。
修行は「六波羅蜜(ろくはらみつ)」というカリキュラムが設けられ、六つの修行により構成されます。
以下に、修行の内容についてご紹介します。
布施(ふせ)
見返りを求めることなく、その人の立場に応じた施しを行う修行です。
物や金銭だけでなく、ゴミ拾いなどの行動でも布施となります。
自分の欲を抑え、相手のためを思って施すことが修行になります。
持戒(じかい)
仏教の教えに基づいて、よく生きるための戒律を守ることを言います。
具体的には、不殺生(生き物を殺さないこと)・不偸盗(人のものを盗らないこと)・不邪淫(よこしまな性関係を結ぶこと)・不妄語(嘘をつかないこと)・不飲酒(お酒を飲まないこと)が、在家信者が守るべき「五戒」とされています。
忍辱(にんにく)
苦しさ・辛さ・悲しみなど、自分の心に引き起こされる負の感情を耐え忍ぶ修行です。
ただ耐え忍べばよい、というわけではなく、人の苦しみを理解し、自分もまた他者に生かされている存在の一人だと自覚することが、仏の慈悲につながると考えます。
要するに、何があっても自分事と受け取り、不平不満を言わずに生きるための修行だと言えるでしょう。
精進(しょうじん)
実社会でもよく使われますが、努力を毎日続ける修行です。
同じことを毎日続けるのはどんな世界でも大変なことですが、日本人は愚直に取り組む中で、洗練された技術を数多く先人から受け継いできました。
自分のできる範囲で、日々全力を尽くすことが修行になります。
禅定(ぜんじょう)
座禅を組むことをイメージしがちですが、必ずしも座禅だけが修行ではありません。
そもそも、座禅を組む理由は、悟ること・心を定めることが目的です。
現代人にとっては、第三者の視点で自らを見つめるための修行を言います。
智慧(ちえ)
先に挙げた五つの修行を行った結果、物事の真実を見る目を養った状態を指します。
修行というよりは、修行により至る結果・目標と言えるかもしれません。
一般人にとっては供養の季節
お盆などもそうですが、お彼岸と聞いて一般人がイメージするのは供養でしょう。
実際のところ、厳密には春彼岸・秋彼岸で仏事は行われてはいるものの、大半の家庭では「これをやらなければならない」という取り決めはありません。
ただ、日本人にとって、ご先祖様・亡くなった家族の存在は、死してもなお残るものです。
海外の一神教に基づく文化とは異なり、日本ではあらゆるものが信仰の対象となるため、見えない神様より見えるお墓・位牌と気持ちがつながるのは、自然なことなのかもしれません。
お彼岸は、お盆とは違い、ご先祖様や亡くなった家族が帰ってくる時期ではありません。
しかし、目に見えない存在とつながることで、自分たちの暮らしぶり・生き方を見直す機会にしようという試みは、今なお日本人の文化として受け継がれているのです。
お彼岸は日本独特の風習
仏教は、インドで生まれ、中国を経由して日本に伝わりました。
しかし、お彼岸という文化は、日本以外の仏教国には存在しないと言われています。
従来から存在していた、八百万の神・先祖供養の概念と仏教が結びつき、お彼岸の文化が日本で生まれたものと考えられています。
キリスト教についてもそうですが、日本という国は、既存の宗教をそのまま受け入れるのではなく、日本流にアレンジすることに長けているようです。
本来、お彼岸は自分たちがより良く生きるための修業期間として設けられていたはずですが、いつの間にかそこに供養の概念が顔を出すのは、日本人ならではの感性なのかもしれません。
この記事のまとめ
以上、春と秋、それぞれのお彼岸についてご紹介しました。
季節によって若干の違いこそあるものの、基本的に仏事として行うことは同じと考えて差し支えありません。
本来、今を生きる私たちが気を引き締める時期ですが、それを陰ながら支えてくれているご先祖様に、あらためて感謝の気持ちを伝えるのにも適した時期です。
無理をして法要を執り行う必要はありませんが、一年の半分にあたる時期ですから、心を整える意味でお彼岸を過ごしてみてはいかがでしょうか。